僕が踏み躙ってきた愛情と日常の総て

ゲイ。アラサー。フリーター。こんな僕の日記です。

僕が死んだら

朝、駅のホームで、バイトへと向かう電車を

待ちながら考えた。

もし僕が今死んだらどうなるだろう。

もし今、この線路に飛び込んで死んだならば。

まずは鉄道会社が僕が現場に遺した

荷物から探りを入れ、

母と継父の元へすぐに連絡を行れる筈だ。

そこから先の事は総て二人が何とかするだろう。

僕への憎まれ口でも叩きながら、

適当に僕の遺体を荼毘に付し、

密葬すらも挙げず無縁仏の寺へでも

遺灰を投げ込むかも知れない。

仮になんらかの形で自室で死んだとしたら。

この場合の方が多少厄介だろう。

何ヶ月も家賃が振り込まれず連絡もつかない僕を

不審に思った管理会社の人が、

確認へと直接僕のアパートまでやって来て、

合鍵で部屋へ入って

僕の遺体を発見するという流れになる。

そう。ぐずぐずに腐り切った僕の遺体を。

そして、僕が死んだとして。

一体どこの誰が僕の事を思い出すだろう。

賢一。亘。整骨院の院長先生。バイト先の人々。

母。継父。他には――。

これらの人々だって、最初の何年かは、

『ああ、そんな奴も居たなあ』ぐらいに思い出す程度で、

あっという間に僕の記憶など

忘却の彼方へと葬られる事だろう。

忘れ去られて初めて本当の死が訪れるというのならば、

僕の命はなんて儚いのだろう。

指折り数えられる程度の人々から

瞬時に忘れ去られるだけの人生だったのだ。

そのためだけのこの2×年間を思うと、

儚くも切なくもあり、同時にその程度の価値ならば

今すぐにでも手放しても構わないか、という

二つの不思議な気持ちが交錯する。

別に死にたい訳ではない。

だからといって、死にたくない訳でもない。

死ねば総てから解放される。

このぱっとしない人生から。

誰からも必要とされない人生から。

誰とも解り合えない人生から。

苦しい家計からも。

それに抱えた借金だってチャラだ。

恐る恐る、黄色い点字ブロックを少しだけ踏み越え

線路を覗き込んだ。

敷き詰められた小石の中に二本のレールが見える。

ここに一歩踏み込むだけで総てが終わる。

総てを終わらせられる。

得られなかった愛情。

輝かなかった日常。

何もかもが無に還る。

無。

そこには、本当の安らぎが待っているような気がした。

その瞬間だった。

目の前を猛スピードで電車が入線してきた。

前のめりになりつつあった僕は

咄嗟に後ずさった。

目と鼻すれすれの所で電車の扉が開く。

中から大量の人々が降りてきて

僕を突き飛ばしていく。

僕は本当は死にたかったのだろうか。

思わず乗り損ねた電車が、

駅を出て走り去っていく後姿をただ眺めていた。

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