僕が踏み躙ってきた愛情と日常の総て

ゲイ。アラサー。フリーター。こんな僕の日記です。

味気の無い食卓はいつも孤独で

家に帰ってきた。

今日も面倒だが、

これから夕食を作る。

今夜はシチューにしようと思う。

材料を買い込んであったのだ。

当然市販のルーを用いた簡単なシチューだ。

手を洗って、野菜を洗い皮を剥いて

切り刻んだ。

鍋に油をひいて火にかけ温める。

少し待って、鍋の上に手を軽くかざして

そろそろかなと思い至り肉を入れて炒めた。

肉に焼き色が付いて来た所で玉葱を加え、

玉葱が炒まってきた所にじゃがいもと人参を加えて

ちょっとだけ炒め、シチューのルーの

パッケージに記載されてある分量の水を

一気に鍋に注ぎ込んだ。

沸騰するまで、しばらく待つ。

キッチンに立ち込めていく湯気の中で

ぼんやり物思いに耽った。

実家に居た頃は、独りで食事を摂るのが常だった。

朝も昼も晩も。平日も休日も。

それなので、上京して一人暮らしをするようになって、

自炊をして一人で食事を摂る事に

何の違和感も覚えなかった。

普通の感覚であれば、実家と違って

独りの食卓が寂しいと感じたりするようだが、

僕にはその感覚が無かった。

寧ろ、自炊をする様になって、

母よりも美味い料理を作れるようになり、

舌は喜んでいるようだった。

しかし、独りで食事を摂る事が

寂しくない訳では決して無い。

やはり誰かと食べる食事の方が

味気があって美味しい。

特にここ最近――亘と食事をする機会が

多かったので、どうも独りで食事をする時に

違和感を抱くようになってしまった。

違和感という名の、寂しさ。

鍋が沸騰してきた。

火を弱めて灰汁を取りつつ中火で更に煮込む。

煮込んでいる間に、この思いの丈を

BLOGに残しておこうと思って、

今こうしてPCに向かいキーボードを

叩いている。

自分は母より料理が上手いと言ったが、

あくまで母の料理が致命的に下手糞なだけであって、

僕の料理技術が特別優れている訳では無いと思う。

と言うのも、自分が作った料理を

誰か他人に食べさせた事が無いから、

基準が解らないのだ。

今まで自分で作ってきた料理は

総て自分独りで食べ尽くしてきた。

誰かの為に料理をしたという経験がないのだ。

それに、誰かの為に料理をするというのは

非常に煩わしい感じがする。

相手の舌と自分の舌は異なっている。

相手の好みに合わせた作り方だとか、

味付けだとかを考えながら作るのなんて

考えただけでも面倒臭そうだ。

僕はあくまで自分の舌に合うような料理しか作れない。

そう。自分の貧乏舌に合うような料理しか。

煮込み始めて20分が経った。

鍋の蓋を開けて、お玉で野菜をつついてみたが

まだ硬いようだった。

もうしばらく煮込もうと思い、あと10分だけ

煮込む事にした。

他人が僕の料理を食べたらどう感じるのだろう。

ふいに、今まで1ミリも考えた事の無かった思いが

頭を過った。

確かに、若かりし頃には

『彼氏が出来たら自室に招いて夕食を振舞ってあげたい』

等と考えたものではあるが。

何で僕は急にこんな事を考えたのだろう。

先週の金曜日の亘の態度に浮かされてでも

いるのだろうか。

とは言え、どうせ誰に何を振舞った所で、

社交辞令で『美味しい』という一言の

一点張りだろう。

心からの言葉は聞けず仕舞いで

終わるぐらいなら、わざわざそんな

煩わしい事をするなんて馬鹿げている気がした。

更に煮込み続けて10分が経過した。

野菜の硬さを確認したら、丁度良い具合になっていた。

一旦火を止めて、少し冷ましてから

シチューのルーを溶き入れ、

弱火にかけてとろみがつくまでまた再び煮込む。

腹が鳴った。早く出来ないだろうか。

自分の為だけに自分で作った料理を

自分独りだけで味わうというのは、

例え孤独を覚えても、どこか

居心地が良い様な気がした。

誰にも気を遣わなくていいのだから。

鍋の中に自分だけの世界があると思うと、

心が弾んだ。

早く出来上がらないだろうか。

味気の無い食卓でも、孤独でも、

そこに確固とした自分の世界があれば、

多少前向きに生きていける気がした。

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